交叉する身体と遊び
あいまいさの文化社会学
マジメでなければならなかった近代以降の身体は、その枠組みのなかにはおさまりきらず、遊びを取り入れることによって、あいまいさのなかで絶妙なバランスを保っている。身体と遊びとがまじりあうさまざまな場面をユニークな視点で読み解く。オンライン書店bk1に書評が掲載されています。
I 遊びから身体へ
第1章 テレビゲームの身体性
― サイバースペースにおける遊びとは何か
第2章 ピアノ演奏のパラドックスと「ヂベタ座り」
― 身体の偏在性へのアプローチ
第3章 ボディ・ポリティクスの磁場
― 身体と遊びの記憶の共同体
第4章 遊びのリライト
― 意志のオブセッションと両義性
第5章 マンガ『タッチ』とシニシズムの可能性
第6章 役割の遊戯性
― 演技する身体とジェンダー
II 身体から遊びへ
第7章 絵に現れた体育という経験
第8章 スポーツという隠喩
第9章 スポーツマンガの八〇年代
第10章 高校野球と奇蹟
― 至高性へのアプローチ
第11章 ファンの共同体と身体性
第1章 テレビゲームの身体性
― サイバースペースにおける遊びとは何か
第2章 ピアノ演奏のパラドックスと「ヂベタ座り」
― 身体の偏在性へのアプローチ
第3章 ボディ・ポリティクスの磁場
― 身体と遊びの記憶の共同体
第4章 遊びのリライト
― 意志のオブセッションと両義性
第5章 マンガ『タッチ』とシニシズムの可能性
第6章 役割の遊戯性
― 演技する身体とジェンダー
II 身体から遊びへ
第7章 絵に現れた体育という経験
第8章 スポーツという隠喩
第9章 スポーツマンガの八〇年代
第10章 高校野球と奇蹟
― 至高性へのアプローチ
第11章 ファンの共同体と身体性