「広告」への社会学
ノウハウ(know how)からノウホワイ(know why)へ ― 「広告」という概念そのものを問い直し、60年代以降の日本の広告史の見取り図と、高度に広告化する現代日本社会を描き出す。広告制作の現場から社会学研究者に転じた者による新たな試み。
はじめに 「広告」へのアプローチ 批判学派への批判
第I部 広告研究の現状へ
1 ロラン・バルトと「映像の修辞学」/2 バルトへの批判をめぐって
3 「カルチュラル・スタディーズ」と広告分析
4 「広告」への構築主義的アプローチ
第II部 広告という状況へ
第1章 状況的パースペクティブをめぐって
1 ゴフマン社会学の位置/2 ″フレイム・アナリシス″と広告分析
3 ミクロな状況からマクロな社会へ/4 小括
第2章 受け手分析をめぐって
1 六○年代 ― 侵入する広告から所与としての広告へ
2 七○年代 ― 観賞者としての受け手、作品としての広告表現
3 八○年代 ― マーケティング戦略と広告主の自己呈示
4 広告主―受け手関係の変化から社会の変容へ/5 小括
第3章 内容分析をめぐって
1 広告表現の高密度化/2 商品から広告主へ
3 広告というテクストから「インターテクスト」へ/4 小括
第4章 送り手分析をめぐって
1 「非明示的経験」の諸相/2 佐藤雅彦とその「ルール」
3 「ルール」から「トーン」へ/4 小括
第III部 広告化する現実へ
第1章 広告化する空間 ― 西武セゾングループの場合
1 PARCOという催事(event)
2 SEIBUという展示場(display)
3 SAIS◎Nという生活様式(way of life)/4 小括
第2章 広告化するイベント ― スポンサーシップの政治学
1 広告媒体としてのスポーツイベント
2 「文化的」かつ「社会的」な広告
3 拡大するスポンサーシップ/4 小括
おわりに 広告化する現実/現実化する広告 両義的な「受け手像」へ
注/引用・参照文献/索引/図版出所・提供元/あとがき
第I部 広告研究の現状へ
1 ロラン・バルトと「映像の修辞学」/2 バルトへの批判をめぐって
3 「カルチュラル・スタディーズ」と広告分析
4 「広告」への構築主義的アプローチ
第II部 広告という状況へ
第1章 状況的パースペクティブをめぐって
1 ゴフマン社会学の位置/2 ″フレイム・アナリシス″と広告分析
3 ミクロな状況からマクロな社会へ/4 小括
第2章 受け手分析をめぐって
1 六○年代 ― 侵入する広告から所与としての広告へ
2 七○年代 ― 観賞者としての受け手、作品としての広告表現
3 八○年代 ― マーケティング戦略と広告主の自己呈示
4 広告主―受け手関係の変化から社会の変容へ/5 小括
第3章 内容分析をめぐって
1 広告表現の高密度化/2 商品から広告主へ
3 広告というテクストから「インターテクスト」へ/4 小括
第4章 送り手分析をめぐって
1 「非明示的経験」の諸相/2 佐藤雅彦とその「ルール」
3 「ルール」から「トーン」へ/4 小括
第III部 広告化する現実へ
第1章 広告化する空間 ― 西武セゾングループの場合
1 PARCOという催事(event)
2 SEIBUという展示場(display)
3 SAIS◎Nという生活様式(way of life)/4 小括
第2章 広告化するイベント ― スポンサーシップの政治学
1 広告媒体としてのスポーツイベント
2 「文化的」かつ「社会的」な広告
3 拡大するスポンサーシップ/4 小括
おわりに 広告化する現実/現実化する広告 両義的な「受け手像」へ
注/引用・参照文献/索引/図版出所・提供元/あとがき