彷徨えるナショナリズム
オリエンタリズム/ジャパン/グローバリゼーション
「ナショナルなもの」を内側へと超え出ることは可能か? ― 今日の日本に空気のように充満するナショナリズムの兆し。そこに潜む無自覚な暴力や抑圧への違和感を手がかりに、それらを意識化/言語化し批判的に検討することを試みる。
プロローグ ― 「ナショナルなもの」への違和感
第1章 「ナショナルなもの」の台頭
― 九〇年代の気分
第2章 戦後における「ナショナルなもの」
― ディレンマの屈光
第3章 「日本」にとっての二つの「他者」
― 脱亜入欧イデオロギーの呪縛
第4章 テクノ・オリエンタリズムと「ナショナルなもの」
― 同一化すべき「他者」からの眼差し
第5章 アジア・オリエンタリズムと「ナショナルなもの」
― 差異化すべき「他者」への眼差し
第6章 「日本らしさ」をめぐるポリティクス
― キッチュなノスタルジー
エピローグ ― 「ナショナルなもの」のゆくえ
あとがき
第1章 「ナショナルなもの」の台頭
― 九〇年代の気分
第2章 戦後における「ナショナルなもの」
― ディレンマの屈光
第3章 「日本」にとっての二つの「他者」
― 脱亜入欧イデオロギーの呪縛
第4章 テクノ・オリエンタリズムと「ナショナルなもの」
― 同一化すべき「他者」からの眼差し
第5章 アジア・オリエンタリズムと「ナショナルなもの」
― 差異化すべき「他者」への眼差し
第6章 「日本らしさ」をめぐるポリティクス
― キッチュなノスタルジー
エピローグ ― 「ナショナルなもの」のゆくえ
あとがき