夢みる主観の社会学
私社会学ノート
「私」を離れた社会学はやりたくない ― 私・社会学は、ホモ・ソシオロジクスの枠を越えでたところから、あらためて人間の社会的存在について考える。著者のごく私的な経験を通して、自己と他者が結びつく場所=「社会」の在処を探る。
第I部 私的経験を考える
第1章 テレビと生きられる文化 ― 自分史風に ―
1 「体験」から経験へ/2 永年経験の意味探し/
3 見えにくくなったテレビ/4 軽快化への期待
第2章 私説ポピュラー・リーディング
1 リーディングの日常風景/2 実利主義的リーディング/
3 現代文化と実利主義/4 生きられる読書
第3章 だましといかさま
1 私といかさま/2 大きなだましと小さなだまし/
3 だましの快楽/4 勝負における虚実
第4章 仕事と遊び
1 私の経験に寄せて/2 遊びあるいは仕事/
3 仕事あるいは遊び/4 花のもとにて春死なむか?
第II部 私社会学の試み
第5章 社会問題への主体的接近へ向けて
1 求められるソシオロジストの自己批判/2 私における転回と
その契機/3 社会問題の主体化とは/4 万人共通から一人、
一人の問題へ/5 匿名化時代への主観的・相貌的反撃/
6 目的と手段は連動する/7 日常の難儀に執着せよ
第6章 類型化と理解 ― 一つの覚え書 ―
1 シュッツ=バーガー的抽象論を疑う/2 批判的類型論の問題性/
3 クラップ類型論の意義と限界/4 類型化理解のパラドックス
第7章 私にとって社会意識とは何か ― 教養主義をめぐって ―
1 私という人間/2 日本型教養主義との出会い/3 イデオロギー的
認識と道徳意識/4 挫折した教養の理想主義/5 個我にこだわる
第8章 私社会学のためのノート
1 なぜ私社会学なのか/2 信頼について/3 「分リ」について/
4 嘘をめぐって/5 経験について/6 偶然性について/7 習慣
もしくは日常について/8 生きる技術について/9 身体的所与に
ついて/10 私的関係性について/11 夢、そして人生観
付・世事私考<一九九二~九七>
あとがき
初出一覧
第1章 テレビと生きられる文化 ― 自分史風に ―
1 「体験」から経験へ/2 永年経験の意味探し/
3 見えにくくなったテレビ/4 軽快化への期待
第2章 私説ポピュラー・リーディング
1 リーディングの日常風景/2 実利主義的リーディング/
3 現代文化と実利主義/4 生きられる読書
第3章 だましといかさま
1 私といかさま/2 大きなだましと小さなだまし/
3 だましの快楽/4 勝負における虚実
第4章 仕事と遊び
1 私の経験に寄せて/2 遊びあるいは仕事/
3 仕事あるいは遊び/4 花のもとにて春死なむか?
第II部 私社会学の試み
第5章 社会問題への主体的接近へ向けて
1 求められるソシオロジストの自己批判/2 私における転回と
その契機/3 社会問題の主体化とは/4 万人共通から一人、
一人の問題へ/5 匿名化時代への主観的・相貌的反撃/
6 目的と手段は連動する/7 日常の難儀に執着せよ
第6章 類型化と理解 ― 一つの覚え書 ―
1 シュッツ=バーガー的抽象論を疑う/2 批判的類型論の問題性/
3 クラップ類型論の意義と限界/4 類型化理解のパラドックス
第7章 私にとって社会意識とは何か ― 教養主義をめぐって ―
1 私という人間/2 日本型教養主義との出会い/3 イデオロギー的
認識と道徳意識/4 挫折した教養の理想主義/5 個我にこだわる
第8章 私社会学のためのノート
1 なぜ私社会学なのか/2 信頼について/3 「分リ」について/
4 嘘をめぐって/5 経験について/6 偶然性について/7 習慣
もしくは日常について/8 生きる技術について/9 身体的所与に
ついて/10 私的関係性について/11 夢、そして人生観
付・世事私考<一九九二~九七>
あとがき
初出一覧