〈気〉の人類学
気功実践の身体経験
〈気〉とは何か?
ストレス社会に抗するオルタナティブな知恵に迫る
上海中医薬大学で中医学を修得し、実習医として働いた著者が、中国と日本の気功現場で修行とフィールドワークを実施。〈気〉の発生メカニズムや癒しのプロセスを学術と実践の両面から解明する。
【エピグラフ】
人の生は気の聚まれるなり。聚まれば則ち生と為り、散ずれば則ち死と為る。 『荘子』知北遊篇より
【プロローグ】
実家の引き出しの中の一枚のバッジが、気功に対する人生最初の記憶を呼び起こした。変わった太極図の下に「中国天功」という四文字が記されただけのシンプルなデザインであるが、当時小学校一年生の私はなぜかそれを重宝していた。
具体的な日にちは忘れてしまったが、祖母と一緒に上海体育館で気功の集会に参加した経験は、いまだにはっきりと覚えている。一九七五年に建てられた上海体育館は、一九九三年当時、上海のシンボルの一つだったと言っても過言ではない。一万席もある上海体育館は、当時の上海市民にとって聖なる空間であり、そこで開催されるイベントは特別なものと誰もが思っていた。祖母は、気功に熱狂していたわけではないが、ちょうど定年退職したところで、暇つぶしのために、同様に退職した仲間たちと一緒に「天功」という気功団体に参加したのである。「天功」は、後ほど中国で禁止になり解散したが(海外ではまだ活動しているようである)、一九九〇年代初期の中国において、かなり知名度が高い気功法の一つであった。「天功」に関する資料を収集する過程で、「天功」主宰者の陳楽天は、当時の中国国家公認の気功師の代表の一人であり、日本の京都で開催された国際気功会議(一九九二年四月)で報告したことがあることがわかった。
その日、祖母は私を連れて、「天功」の「帯功報告会(気功師が、自分の気功を紹介しながら、自分の超能力や〈気〉を披露する会合のこと)」に参加した。小学校一年生の私は、舞台の中心にいる偉そうな人が、マイクを握って、宇宙や人間について何かを話しているのを見ていたが、具体的な内容は正直覚えていない(そもそもまったく理解できなかったのかもしれない)。ただし、その人の話し方が普通でなかったことは記憶に残っている。彼は、時に大きな声で叫んだり、時に同じ言葉を何度も繰り返したり、それとともに参加者たちに向かって誇張して身振り手振りをしたりして、まるで何かの奇妙な力を操っているかのようであった。当時の上海体育館の会場はほぼ満席であり、周りの人々は陳気功師のパフォーマンスを静かにじっくり観たり、または目をつぶったまま聞いたりしていた。陳気功師は、超能力を使う(当時の中国気功界では、「発功〔=功を発する〕」という。ここの「功」は、「功力」の「功」の意味で、修行によって得た不思議な力を指す。「天功」の場合は、宇宙から〈気〉を集めて、人体に作用させることを指す)。時には、まず数多くの病気や不調の名前を口に出し、続いて呪文のようなよくわからない言葉(「天功」では、「気功語」という)を発した後、突然非常に大きな声を出す。私はその声に驚いて泣きそうになったことを今でも覚えている。報告会の後、祖母は、「ぐらついていた虫歯が取れた」と言い、取れた歯を彼女の「功友(=気功同好者)」たちに見せながら気功師の力に感服していた。彼女たちが盛り上がっている時、ちょうど「天功」の組織の人が通りかかり、話しかけてくれた。「陳先生はすごいでしょう。お坊ちゃんは、『天功』と縁がありますよね。将来は、『天功』をさらに発展させ、輝かせよう! たくさんの人々を幸福にしよう!」と輝く目で私を見つめ、「天功」のバッジをくれた。私はその後の長い間、きっとすごい力が宿っていると信じながらそのバッジを胸に付けて登校し、友達に見せびらかし自慢した。
現在、本書を執筆しながらそのエピソードを冷静に振り返ると、世界中のもろもろの新興宗教やスピリチュアル的治療の構造と酷似しており、やや危険性や陰謀の匂いを感じるが、「気功」というものからもたらされた「わくわく」「驚き」「自慢」などの情動的経験が、この時、おそらく幼い私の心に根づいたのであろう。その後、〈気〉を操るカンフーが登場する「武侠小説」や「武侠ドラマ」に夢中になったことも、〈気〉をベースに治療する中医学を学んだことも、さらに本書における気功の研究も、子ども期に無意識に生まれた感動や好奇心とつながっているのかもしれない。
【序章より】
二〇〇八年のとある日、朝四時三〇分、大学寮(四人部屋)の室内で、四台の目覚まし時計がほぼ同時に鳴った。私を含めた四人はまだ寝ぼけていたが、重い体を無理矢理に起こし、急いで出かける支度をしなければならなかった。当時のその辛さは今でも覚えている。早朝四時台の起床は不本意であり、できる限り避けたいものだが、当時は避けようにも避けられない事情があった。それが、ある必修科目の存在である。私の出身校である上海中医薬大学の鍼灸学部には、多くの学生の不評を買う必修科目「功法」が設けられている。「功法」という講義の目標は、さまざまな種類の気功法を勉強・練習しながら、体内の〈気〉を養うことである。中医師は、中医学(TCM)の〈気〉の理論のもとで鍼灸や整骨などの治療を行うため、自分の〈気〉が足りなければ、うまく施術・治療することができない。要するに、一人前の中医臨床医師になるには、気功の練習(=練功)を通して自分の〈気〉を充実させ、さらに上手にコントロールする技を習得する必要がある。そして、〈気〉の修練について最大限の効率を発揮するために、講義は朝五時からと定められていた。私は二年間辛抱しながら、「功法」に関わる三つの講義で気功の動作や姿勢を正確に覚えた。結果として、合計六単位を取得できたが、残念ながら、自分の〈気〉が強くなったと感じたことはなかった。それどころか、長期的な寝不足のせいで身体がかなり弱くなった気さえするのである。
中医薬大学の学生であり、中医師をめざす者が、そのもっとも基盤となる〈気〉の実在や〈気〉の理論に懐疑的なのは、非常に危険なことかもしれない。しかし、その時から、この見えず感じることもない〈気〉、および〈気〉の理論に基づいた鍼灸・整骨・気功などの「治療法」に対して不信感を抱くようになった。長く抱いてきた〈気〉の実在や〈気〉の治療効果に対する不信感と疑念は、本書の問題意識と深くつながっており、研究の動機とも言える。すなわち、不可視の〈気〉と、〈気〉の理論に基づく不透明の治療効果は、どのように現れるのかという問題意識である。
【本書の特長】
①人類学的フィールドワークによる〈気〉や癒やしの解明
本書は中国と日本の気功現場での徹底したフィールドワークを通じ、〈気〉の発生や癒しのプロセスを解明します。身体経験を文化的・社会的文脈に結びつけることで、〈気〉の多層的な意味を浮き彫りにし、具体的な現場の実践を詳細に描写します。
②気功の歴史を分析
「気功」という概念が中国共産党の政策により形成された歴史を詳しく分析します。また、その源泉となった古代の諸技法にも焦点を当て、伝統的実践から現代にいたるまでの変遷を気功現場における言説や文献調査から克明に描きます。
③現代社会とのつながりと広がり
ストレス社会や健康不安が広がる現代において、〈気〉の実践が持つ可能性を具体的に提示します。身体的・情動的な癒しをもたらす情動の技法を分析するとともに、漢方医、薬学者、中医師との共同研究を通じたさらなる応用の可能性を探ります。
序 章 不可視の〈気〉、不透明な治療効果
第Ⅰ部 〈気〉をめぐる言説と現場
第一章 〈気〉はどのように研究されてきたか
第二章 中国と日本における気功の現場
第三章 現場における気功をめぐる歴史と言説
第Ⅱ部 気功現場における〈気〉と〈治〉の生成
第四章 〈気〉と〈治未病〉――中国上海での気功実践
第五章 〈気持ちいい〉と〈治る力〉――日本京都での気功実践
第六章 新型コロナウイルスと気功
終 章 〈気〉の人類学
エピローグ
注
参照文献
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